スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

わたしたちはいつから一日三度の飯を食うようになったのか? ~ボツになった侍の一日~

bushi

シナリオライターの橋本 忍さんが映画「生きる」を撮った後、「七人の侍」を撮るまでに、『侍の一日』と言う企画があり、橋本さんは、脚本を書く為に色々調べ物をしていらっしゃいました。

黒沢監督の狙いは、これまでの時代劇にない、徹底したリアルな時代劇だったので、江戸時代の侍の日常の暮らしぶりを文芸部員と共に調べ上げたそうです。

それによると、徳川時代のお侍様の中にも、結構筆まめな御仁がいらしたようで、今で言う所のブログみたいな日記もそろっていたと言います。
内容はと言うと、日々の天候、人の出入り、親類縁者との交際、冠婚葬祭、家計の事などが殆どで、自らの仕事に関する記述は殆どなかったそうです。

又、諸藩の職制も概ねどこも同じようなもので、家老、番頭、物頭、使い番、寺社方、勘定方、吟味方、普請方などですが、組織の詳細な編成や人員、勤務時間などについては触れられていないそうなんです。

asw34

わたしは、専門家ではないので、この理由はわかりませんが、勝手気ままにわたしなりの想像を巡らせてみると、結構おもしろいのです。

・城勤めは、上役の顔色ばかり気になるので、ストレスがたまり、自宅で書く日記にまで書きたくない。
・職制はあっても、職務分掌や組織図、勿論マニュアルなども無かった。
・日本はハイコンテクスト社会だから、いちいち多くの文書を作成して仕事をしなくても事が足りた。

専門家の方からは、「そんなんとちゃうちゃう」と言うご批判を承知で書きました。
ところで、この侍の一日は、ついには映画化されなかったのですが、その理由が、江戸時代の侍が、一日三度の飯を食っていたか否かだったのです。

橋本さんのシナリオでは、昼に詰め所で同じ家禄の馬廻り組の友人と弁当を広げてほっと息をつき、世間話をするのがお互いの楽しみ、おかずの品定めをしながら季節の話題から釣りの話、川で鮎を追った幼少の思い出など話に花が咲く。主人公には一男二女、友人は子だくさんで三男二女がおり、お互いの子同士の縁組みを思案したりと平穏で幸せな暮らし。こんなシーンが用意されていました。

従って徹底したリアルな時代劇を撮るには、ここのところが重要だったと橋本さんは著書「複眼の映像」(文春文庫)で書いています。

侍の一日のもう一つの重要な要素に「切腹」がありますが、これも私たちが思い浮かべる、自らの腹に小刀をき立て、側で首をはねる介錯人がついたのは江戸時代前期までで、中期以降は、切腹させられる武士には小刀を持たせてもらえす(逆上するものがいた)、白扇や木刀を持ち、介錯人が直ちに首をはねていたそうです。

侍の一日は、まだ切腹させられる武士が小刀で、自らの腹をかっさばく様子を撮りたかったわけで、時代設定は江戸時代前期。

ところが、確かな文献は残されていないそうですが、武士階級がすべて朝・昼・晩の三食を摂るようになったのは、江戸時代中期以降と言われ、三度の飯を食わない時代に、昼に詰め所で弁当を食うシーンはつじつまが合わない。
これでは徹底したリアルな時代劇にならないと、橋本さんは、ノートと箱書きを全て自宅で焼き捨て、東宝へ出かけてプロデューサーに中止を告げた様子が複眼の映像には書かれています。

なにもそこまで徹底しなくてもと思うのですが、色々な方が見る映画では、そうは行かない。
このこだわりがいい作品を生み出すのだと思います。

今の、テレビ時代劇とは違いが大きいのでは?と感じるお話しでした。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

明日香人

Author:明日香人
各地の棚田保全活動の情報や美しい棚田を紹介してゆきます。

関連商品
おススメ書籍
twitter
検索フォーム
最新記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。