スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「モダンタイムス」に見る時代の変化と創造者の苦悩 

トーキー映画が1927年に登場した中で、その約10年後の1936年当時に、サイレント映画を作っていたのはチャップリンぐらいだったと言われています。

そんな中で、1936 年チャップリンは、自らが監督・製作・脚本・作曲を担当して、『モダン・タイムス』を発表します。
チャップリンが初めて映画で肉声を発した映画としても有名です。
今から、30年以上前に、各地でチャップリンの映画がスクリーン上映され、私はよく観に行きました。

このモダンタイムスも当然観ましたが、映画の後半でチャップリンが、酒場でインチキ外国語で“ティティーナ”を歌うシーンでは、抱腹絶倒!笑い転げた記憶があります。
このシーンでチャップリン自身の歌声を聴くことができますので、ご存じない方は、こちらをご覧ください。



さて、話を昨日の続きに戻します。
チャップリンは自伝で、モダンタイムスに関して次のように語っています。

「ビヴァリィ・ヒルズへ帰ってみると、スタジオからうれしいニュースが入った。『モダン・タイムス』の大成功である。

だが、わたしはまたしても厄介な問題に直面した。
もう一度サイレント映画を作るべきかどうか、という問題だった。

もしやるとすれば、これは大ばくちを打つことになる。すでにハリウッド全体がサイレント映画を見捨てており、いまだにがんんばっているのはわたしだけだった。

これまでのところはうまく行っていたが、もはやパントマイム芸術がしだいに時代おくれになりつつあることを感じながら、相変わらずそれを続けるというのは、なんとしても気の滅入る仕事だった。

おまけに一時間四十分もつづく台詞抜きの動きを考えること、つまり言いかえれば二十フィートごとに機智を動きで表現し、目で見るジョークを創造しながら、七、八千フィートのフィルムをこなしきるというのは、並みたいていのことではなかった。

またこんなことも考えた。もしわたしがトーキーを作るとして、たとえどんなにうまくやったところで、とうていあのパントマイムを超えることはできないにちがいない。と。

たとえば、わたしの浮浪者が声を出すとして、そらならどんな声を出させたらよいか。ほんの簡単な片言だけしゃべらせるのか、それともただモグモグとだけしゃべらせたほうがよいか。いろいろ検討してみたが、無駄だった。

口をきいた瞬間から、わたしはほかのコメディアンと変わらなくなってしまう。こうしたいろいろと憂鬱な問題が、立ちはだかっていたのである。」
『チャップリン自伝』(中野好夫訳より)

この言葉に創作者ぬ苦悩が色濃く滲み出ています。
20世紀~21世紀までの企業主導の「大量生産・大量消費型」の近代工業社会を生きて行く上で、わたしたちは、人間の尊厳が失い、機械やシステムの一部分になって来たことは否めないと思うのです。

チャップリンは、トーキーの発達から近代工業社会の問題を見ていたように感じます。
人間が尊厳を奪われ、機械の一部分のようになっている世の中を実にうまく笑いで表現している場面があります。



さて時代は、21世紀「ポスト近代工業社会」の姿がいまだ見えてきません。
中国やインドなどの新興国の台頭が顕著になる中で、近代工業社会の変化を促す「ネット化」と、成長の限界を意識せざるを得ない「地球環境問題」が先進国の産業構造を揺さぶっています。

このような時代の変化を映画で表現できる作家の登場に期待するものであります。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

明日香人

Author:明日香人
各地の棚田保全活動の情報や美しい棚田を紹介してゆきます。

関連商品
おススメ書籍
twitter
検索フォーム
最新記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。