スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ドストエフスキーと現代の殺人

中央公論の2009年7月号に、東京外国語大学教授の亀山郁夫氏と作家の平野啓一郎氏の対談が掲載されていて、私は大変興味深く読みました。

対談のタイトルは「ドストエフスキーと現代の殺人」と非常に重いテーマです。
対談は、先ず 亀山郁夫氏が著した新訳『カラマーゾフの兄弟』全5巻が大変よく売れていて(累計100万部超とか)何故今、ドストエフスキーなのか?から始まります。

その中で平野氏はこう語っています。
「89年に冷戦が終了して、なんとなくアメリカを中心に世界がまとまり、わかり合えるような幻想があった。反面ポストモダン的会議があり、何を正しいと信じるのが難しく、人生の方向も見えにくい時代でもあった。

その幻想を打ち消すように9.11が起こり、自分たちなりに信じるものを信じる生きざまが示された、他方インターネットでは、他者の圧倒的多様性も経験した。
このような時代に他者とどうやってコミュニケーションが撮れるのかと言う事を真剣に考える時代になった。

そのときドストエフスキーに惹かれるのは、最後まで絶対にわかり合えないような他者たちが、自分の信じるものを、或いは信じないものを語り合っている世界だからだと思う」

ドす

続いて亀山氏が
「秋葉原事件の一ヶ月後、実は私はNHK文化センターの講座でもはや「カラ兄」の時代は終わり「罪と罰」の時代になった。

秋葉原事件の恐ろしさが「カラ兄」を凌駕してしまった」
と述べています。

この件に関して亀山氏は、2008年12月6日の関西大学での読書教養講座でも

「『罪と罰』は、ペテルブルク大学の元学生ラスコーリニコフが、近所に住む金貸しの老婆を殺害する物語です。
お金が絡みますが、犯行の動機は「天才は凡人の権利を踏みにじっていい」という哲学。
この一種の選民思想は、身近な歴史の中にも存在します。

20世紀の独裁者スターリンは200万人のホワイトカラーを粛清した。彼は74歳まで生き、その行為は当時、ソビエト社会主義実現のため必要だったと正当化された。スターリンという天才は、凡人200万人の命を奪っても痛みを感じる必要はなかったのです。

そう考えると、「正当な」理由さえあれば老婆を殺してもよい、という青年の理屈も成り立つ。ところが彼は殺害後、「天才」としての自覚を失い、恐怖にかられる。良心の痛み以上に、自分自身の存在が根底から震え、おののくような経験をなめるのです。

※中略

ラスコーリニコフは、ソーニャに「あなたが汚した大地にキスをして許しを乞(こ)いなさい」と言われる。人間は、根本的な悪を犯すことがあるかもしれない。しかし大地は自分の魂の中にある、自らのおごりを捨てて初めて、救いの道を得ることができる。そういう認識を『罪と罰』は与えてくれました。それは13歳の私にとって、非常に大きな読書体験でした。」

と述べています。
亀

対談はこの後、「ネット上の本音と格差なども話されていましたが、今日の所はここまでにします。

私は、高校生時代と言いますから40年以上も前ですが、ドストエフスキーをよく読みました。
カラ兄、罪と罰、白痴、白夜等などです。

当然当時は、作品の持つ背景や深い意味など理解できるはずはなく、登場人物の名前のややこしさだけが印象に残っていました。

又、当時のロシア映画(当時はソ連映画と言ったか?)も何本か見ました。
私だけの印象かも知れませんが、カラー映画にも関わらず、全体的にセピア調の色合いで、深みのある映像が好きでした。

改めて、カラ兄や罪と罰を読んでみたくなりました。
今と言う時代だからこそ。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

明日香人

Author:明日香人
各地の棚田保全活動の情報や美しい棚田を紹介してゆきます。

関連商品
おススメ書籍
twitter
検索フォーム
最新記事
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
最新コメント
カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。