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滋賀県高島「畑の棚田」に行ってきました。

takasima1

だいぶ前の話ですが、思い立って滋賀県高島の棚田に行ってきました。それは8月のことでした。
標高1000m級の山々が連なる比良山麓に位置するあたりは、標高300~400mくらいだそうで、山腹にすり鉢状に棚田が広がっていました。
今回は、事前に地元の方に連絡を入れずに出かけたので、多分怪しいヤツに見られたかもしれません。

高島2

割合に大きな家々が点在しています。昔は棚田は山頂付近まで連なっていたはずで、きぅと実りの秋には一帯が黄金色に染まったことでしょう。

稲です

ここも早くから棚田オーナー制度を導入して保全活動を続けていらっしゃいました。
高島のオーナー制度の詳細はこちら

高島畑棚田オーナー制度

居合わせた地元の方にお話を伺いました。
オーナー数は減少傾向だそうです。そして作業を欠席するオーナーが増えたとか?
同じような悩みがあるのかな?と思いました。

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樫原の棚田村(徳島県上勝町)その1

7月14日(土)に徳島県上勝町の樫原棚田村に行ってきました。

20120714

大阪市内の自宅を午前6時に出発、阪神高速、明石海峡大橋を経て徳島県に、徳島市から国道55号を南下,勝浦川橋を渡ってすぐに右折、勝浦川を見ながら県道16号を上流方向に走ること約1時間。
小雨降る中を上勝町の役場に着きました。
今回の訪問では、事前に役場の産業課に電話してインタビューの申し込みをしたところ、地元の「松下さん」をご紹介頂いていたので、松下さんとは役場で待ち合わせすることにしていました。
役場の駐車場から松下さんにお電話すると、待つこと数分で来てくださいました。

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早速、名刺交換。頂戴した名刺は二枚、一枚には「樫原棚田村」~全国棚田百選・文化財指定地区~の松下さん
もう一枚には「上勝町議会議会」の肩書きが目に入りました。
きりっとしたお顔立ちと物静かな話しぶりに自信の程がうかがえます。
初対面にもかかわらず、ずいぶん話しが弾み、あの有名な葉っぱビジネスのお話まで聞くことが出来ました。
(動画の左が松下さん、右が筆者です)

お話が一段落していよいよ樫原の棚田村に向けて車を走らせます。
県道を更に上流方面へ約5分程行くと樫原の棚田の看板がありました。狭い道も松下さんの慣れたハンドルさばきに私はついて行くのがやっと。
約10分ほど走ったでしょうか?ようやく棚田の全景が見える場所に車を止めた松下さんが傘をさしかけてくれながら、棚田について説明をしてくださいました。

20120714-2

雨に濡れた棚田は緑が一段と深く美しいことこの上ありません。
樫原の棚田も私たち明日香と同じく「日本の棚田百選」に選ばれ、又、国の重要文化的景観にも選ばれています。
耕作の始まりは、江戸時代前期の1680年代であったと考えられています。
四方を標高700~900mくらいの山に囲まれ、隣接する集落と峠道で結ばれる空間は「小宙的」と言われます。
わたしは今年3月にフィリピンを旅しました。そのときフィリピン・コルディリェーラの棚田群を見たかったのですが、時間が無くて断念しましたが、私はついつい連想してしまいました。
この続きは次回

新井の棚田

4月29日に、京津府与謝郡伊根町の新井の棚田に行ってきました。
昨年は宮崎の坂本棚田に行き保存会の方に色々お話を伺いました。
今回は伊根町役場の職員I氏が休日を返上して案内してくださいました。

その際のお話の様子や棚田は、次の動画で見てください。



日本海に面したこの地域は嘗て「新井の千枚田」と言われ800枚くらいの棚田があったそうです。
しかしいずこも同じで減反政策や高齢化で耕作を続けてゆくことが困難になり荒廃が進みました。
平成7年に大阪のお米屋さんのグループと地元の方々とで保存会を作って復田に着手して現在25枚の棚田で米を作っています。

棚田の保全活動は各地で行われていますが、そのきっかけや、そこに参画する人たちの思いは様々です。
共通しているのは、都市住民との協働かな?と思います。
さて役場の職員さんにお聞きしたエピソードですが、この棚田の水路を一部役場が負担して整備したそうですが、VP管の水路で写真愛好家の評判が良くないそうなんです。
写真愛好家の気持ちも理解できますが、保全活動をなさっている方々は写真の素材提供が目的でないので随分勝手な言い分だと思いました。

丸山の千枚田(三重県熊野市紀和町板屋)

丸山の千枚田です。
筆者(明日香人)が丸山の千枚田に出かけたのは今から3年半前の2008年12月でした。
熊野古道を旅した時に足を伸ばして観てきました。
丁度ビデオカメラを持って行っていたので撮影もして来ておりまして、編集をしてyoutubeにアップしていますのでご覧ください。



現地で先ず私が驚いたのは、その規模の大きさです。
丸山の千枚田は日本最大級の規模で、当然、日本の棚田百選に選ばれています。
関ヶ原の戦いで功のあった浅野幸長による慶長6年(1601)の検地によれば、7町歩(約7ha)約2240枚の棚田があったうです。

その後、明治時代に11.3haにまで増え、戦後も規模で維持されてきました。
しかし、大抵の棚田がそうであるように、昭和40年代半ば以降、過疎化・高齢化、減反化政策などで不耕作地が増えて最盛期の半分以下の500枚程度にまで減ったそうです。

我が明日香でもそうでしたが、先祖から受け継いだ土地であり、文化的景観でもある棚田を、草山や杉山にするわけにはいかん!!!
地元の農民と紀和町が立ち上がり、地道な復旧作業の末、現在では1000枚以上の復田したそうです。

丸山

京阪神からは少し遠いですが、一度出かけてみてはいかがでしょう。
丸山の千枚田について詳しくはこちら丸山の千枚田





坂元棚田(宮崎県日南市)

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昨年9月、私(明日香人)は宮崎県日南市の坂元棚田を訪ねてみました。
坂元棚田は、宮崎自動車道の田野ICから県道26号線を走ること小一時間の宮崎県日南市酒谷坂元にあります。
事前に棚田保存会事務局のサカモトさんにお電話をしていたので、激しく雨が降りしきる中を近くまで迎えに来てくださって棚田を案内して頂きました。

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サカモトさんによりますと、ここの棚田は元は茅場だったそうです。
茅場とは集落の家の屋根を葺く茅を刈る場所のことで、その茅場が棚田へと変わっていったそうです。
棚田になったのは昭和の初めで、国の補助事業を導入して大正の末頃から測量が始められて、昭和3年から造成工事が始まりました。
そんな訳で、地元の人たちはつい最近まで「新田」と呼んでいたそうです。
昨今、棚田と言う言葉が広まり最近になって「棚田」と言うようになったそうです。
この棚田の特徴は、写真のように1枚辺り5アールの面積やあぜ道の幅などすべてがきっちり整備されている点です。非常に整然とした美しさがいいですね。これは馬耕を前提に設計されたとの事。


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造成工事は5年の歳月と高額の費用をかけて昭和8年8月に約100枚、5ヘクタールの棚田が完成しました。

石墨

石積みは当初、専門の技術者を入れて工事は始まったそうですが、工事が進むと地元の人々も見よう見まねで石積みしたそうです。
サカモトさんのお義父さんも小学校時代には、学校から帰ると直ぐに石積みの手伝いをしたと言うのを聞いたと話してくださいました。
地元の人たちが、それこそ家族総出で新田の完成を目指したのでした。

しかし、現在では地元農家、十数戸が約70枚、3.5ヘクタールの水田を耕しているだけとなっています。
農林水産省は平成11年7月にここを「日本の棚田百選」に認定しました。
保存会では、この美しい棚田を守るために棚田オーナー制度を導入して、都城や宮崎市の住民とともに保全活動をしています。
その活動は例えば農閑期にレンゲを蒔いたり、毎年4月の第二週の土・日曜日には棚田一面がれんげの花で彩られる「棚田まつり」などを開催しています。

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昭和初期に大変な労力とお金をつぎ込んで作った新田も今では維持が困難になってきています。
保存会の皆さんには是非頑張って頂きたいと思います。
志を同じくするものとして心からエールを送ります。
棚田の後方にはきれいに手入れされた杉林(飫肥杉)が広がっています。
なかなかこんな景色は見当たりません。皆さんも是非一度行ってみてください。
プロフィール

明日香人

Author:明日香人
各地の棚田保全活動の情報や美しい棚田を紹介してゆきます。

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